SILENT
15th SINGLE
大人疑惑
2023.3.10 RELEASE
written by maximum10 / produced by maximum10 & Fz (sfpr)
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色取ネム(17才)、裏愛知県在住。
大人という存在に、ずっと、疑惑を抱いている。
それは「大人の言うことは信じられない!」とか、そんな生易しいものじゃない。今この瞬間に十代の子供である自分と、同時並行で生活している大人に対する不信感なんて、正直、どうでも良かった。現在の他人事ではなく、未来の自分事としての切迫した危機・・・この延長線上で恐らく必ず自身がなってしまう大人に対する疑惑だ。
そもそも、大人というものは、この世に一人でも存在するのだろうか?
子供でも分かる政治家の無理ある言い訳、塾帰りにすれ違う無軌道な酔っ払いたち。ビールを飲みながら突き出た腹を気にもせず、好き嫌いを注意する幼児体型の父。自分ができなかったことを熱望する教育ママ。幼い頃から利発と担ぎ上げられ、そのせいで不安定な斜め上から社会を俯瞰してきた私には、そんな大人たちの誰一人として大人には見えなかった。
一体、人はいつ大人になるのか?
そこに、明確な線引きはあるのか?
最近、私の中で一つの仮説が見え隠れしている。
実は大人になると思っていることこそが、子供であることの証明なのではないか。
私たち子供は、どこかで、大人になれば、きっと、今、感じている「ずっと、このまま青い春を生きていたい」という幻想をきちんと捨てることができたり、友人と毎日会えなくなっても「切なさ」を感じず労働に没頭できたり、好きな音楽を流しながら夕暮れを下校しているだけで泣きたくなるような「いまだ名の無い感情」もなくなったり・・・つまり、心の構造がもっと冷たく硬い別物に変わってくれて、だから、大丈夫なのだと信じている節がある。
でも、実際は、大人たちの心は、私たちと何一つ変わらないままで、そんな幻想や切なさや意味不明に泣き出したい気持ちを抱えたまま、日々を繰り返しているのかも知れない。そして、それこそが、最も残酷な事実なのではないか。遠い未来から今という過去を懐かしんでいるような不思議な気分になった。
大人になると瞬間というのは、大人になる瞬間なんてない!と悟った時。
だとすれば、この社会はとてつもない強度を持った利他(自己犠牲)、つまり、愛で出来ている。
でも、そこに勇気や感動なんて一切湧かない。だって、私は、まだ、弱くて利己的な若者だから。
沈む夕陽が、今日は一層、赤く儚く見えた。
そんな仮想少女「色取ネム」の「大人疑惑」を、十五少女が代弁する。